視察:認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ

クリエイティブサポートレッツの理念

認定NPO法人クリエイティブサポートレッツは、障害や国籍、性差、年齢などあらゆる「ちがい」を乗り越えて人間が本来もっている「生きる力」「自分を表現する力」を見つめていく場を提供し、様々な表現活動を実現するための事業を行い、全ての人々が互いに理解し、分かち合い、共生することのできる社会づくりを行う。

特に、知的障がいのある人が「自分を表現する力」を身につけ、文化的で豊かな人生を送ることの出来る、社会的自立と、その一員として参加できる社会の実現を目指す。そして、知的に障がいのある人も、いきいきと生きていけるまちづくりを行っていく。

 

たけし文化センターとは

重度の障がいのある「くぼた たけし」という一個人の「やりたいことをやりきる熱意」を、文化創造につながる最も重要な柱として捉え、そうした彼の功績を讃え始動した公共文化プロジェクトです。個人の持つ文化の発信・創造拠点として、あらゆる人の技術や表現力、特性を掘り起こし、そうした文化のつながりから生まれる新しい「世の中」を広く、社会に発信していきます。

引用サイト☞ http://cslets.net/

 

いざ浜松、たけし文化センターへ

静岡県浜松市にある、認定NPO法人クリエイティブサポートレッツさんの文化発信拠点「たけし文化センター」に行って参りました。

グー〇ル先生のMAP的なものに導かれ、浜松駅から表通りをそれた細い路地へ。いつの間にか裏口に迷い込むと、そこには大人のお店の怪しい看板が。

ここは浜松のマツヤマ?と思いつつ、おそるおそる表側に回ってみると、玄関は案外普通でした。

 

不思議の連続

ぱっと見た感じは普通。しかし何の事務所なのか、分かりません。何となくオシャレな雰囲気はするのですが、最初私はたけし文化センターの看板がどこにあるのか、分かりませんでした。写真をよ~く見てください。看板は室内の天井につるされていて、窓越しにチラッと見えます。

レッツのスタッフさんに案内され、テンキー付きの扉の中に入ると、まず印象的だったのは高い天井!でした。室内なのに鉄骨の足場が組まれていたり、本棚がいっぱいあったりして、中は結構ごちゃごちゃしているのですが、高い天井のおかげで全然狭さは感じませんでした。ある利用者さんは身長がとても高くて、178㎝の私が見上げるほどの背丈でした。そんなのっぽなAさんを見て、なるほど、だから狭さを感じないように天井を高くしているのかと妙に納得してしまいました(違う?)

たけし文化センターでまる一日滞在させてもらったのですが、利用者さんは皆、自由気ままに過ごされていました。たけし文化センター、通称「たけ文」の中のちょっとした流行なのでしょうか。紙をちぎるという行為(作業)をいろんな利用者さんが行っていました。ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、そして山にして。その後は……。特に何もなかったです。持ってきたチラシを全部ちぎったら終わりという感じでした。残されたものは、チラシ20~30枚分の紙切れの山。スタッフの方は止めません。最後まで見守ってから、ホウキでさっと後片付けをされていました。とにかくたけ文の利用者さんは、誰もがやりたいことをやりたいようにやられていて、ここはウチかっていうくらいに自由な雰囲気。

たけ文は、正確に言うとたけ文の中にある障害福祉サービス事業所アルスノヴァは、生活介護(リンク先:WAM NET)を目的とした通所施設です。ここは普段の生活の延長線上にある場所なのです。

 

繰り返す中にある、小さな変化

1Fは図書館カフェ(でも飲み物が運ばれてくることはないです 笑)になっていて、思い思いに過ごされている利用者さんたちですが、例えば黄色いTシャツを着たAさん。ひたすら入り口の前を行ったり来たりしているのですが、何周か繰り返した後、突然私の頭をふわっとなでてきました。

そしてまた何周かした後に私の頭を無言のままフェザータッチ。いつの間にか私の頭が彼のルーティンの中に組み込まれていました。同じことをひたすら繰り返しているように見えていても、実はビミョーに違う。私の頭を触ることで、言葉以外の方法で、Aさんの方から積極的にコミュニケーションをはかってきているように感じました。

全体に言えることとして、利用者さんが拒否的ではなかったことが印象的でした。インタビューをさせて頂いたレッツの代表、久保田翠さんも仰っていましたが、利用者さんは若い方が多く、ルーティンの中に閉じこもっているように見えても、実は知らないモノ・知らないヒトに興味津々で、心の内では他者との交流を求めていると。Aさんとのやり取りは、それを実感した場面でした。

 

何だかよく分からないモノ。実は・・・

最も印象に残った作品は何かと問われれば、それは間違いなく、赤いボールのようなものを手にして座っていたCさんの作品でした。Cさんが持つ赤いガムテープで出来た、ボール状の謎の物体。Cさんのお手製でした。

一見、ただのボールに見えるのですが、実はこれ楽器で、指で表面をはじいて音の響きを楽しむという作品でした。気に入ったものをとにかくガムテープでグルグル巻きにするという、いかにもユニークなCさんの作品は、外国のキュレーターさんの目にとまって、イタリアと日本の作家の作品を展示するアールブリュットの展覧会に出品されました。

おかげで有名になって、他のイベントからもいくつかお声がかかっているそうですが、久保田さんは「作品だけは展示しない。作家(利用者さん)を呼ばないイベントには出ない」と仰っていました。実際にいくつか断っているとのこと。

 

アートの良し悪し

この言葉、あとから私なりに考えてみたのですが。もしかしたら作品と作者の価値あるいは、立場が逆転することを危惧されていたのではないでしょうか。作品と作者が距離を取る、テクスト論という考え方がありますが、そのまったく逆で、作品が素晴らしい⇒素晴らしい作品を作るからその人は素晴らしい、といったような見方。

この先にあるものは、作品を作れない人、障がい者は、素晴らしくないといった、ゆがんだ価値観。作品を作っても作れなくても、またその作品が評価されてもされなくても、その人の素晴らしさは少しも変わらない。それがレッツの基本になっているのではないでしょうか。

アートを評価スケール(点数・良し悪しをつける手段)にしない。だから、その人自身もちゃんと紹介してくれるところにしかレッツは行かない。

実際、レッツの利用者さんは皆さん、とにかく作品らしき作品を作らないのです。何か「やりたいこと」はしています。とても一所懸命に。もちろん私が行ったその日がたまたまそうだったということはあるでしょう。

 

カオス渦巻く、たけ文

ここでようやくとなりますが、たけし文化センターの施設紹介をしたいと思います。3階建ての細長い建物、たけ文は、レッツ代表の久保田翠さんの息子さんであり、重度の知的障がい者である「久保田たけし」さんを全肯定することをコンセプトの基幹とした、個人に根差した文化活動拠点です。

通常問題とされるようなことをどんな状況でも自分のやりたいことをやりきっていることと、とらえなおすことでこの施設は生まれました。フロアごとに紹介します。1階はさきほども説明した通り、図書館カフェになっています。といっても本当にカフェをやっている訳ではなく、飲食OKの自由空間といった感じでしょうか。

続いて2階は音楽スタジオ。楽器(特にドラム)がたくさんあって、時折利用者さんが上がってきては演奏されていました。同時にここは昼寝をするスペースにもなっていて、ある利用者さんが爆音をたててドラムを叩いている目の前で、たけしさんがスヤスヤと穏やかな寝息をたてているという、なかなかカオスな光景がそこには広がっていました。

その上、最上階の3階はシェアハウスになっていました。久保田さんの話では、最終的にここにたけしさんがヘルパーさんと一緒に住んで自立し、たけしさんやたけ文の利用者さんと観光客(施設見学者)が交流するための滞在施設にしたいと仰っていました。う~ん、何というか、スケールがでかい!

レッツの成り立ちについても、代表の久保田翠さんから直接お話をうかがうことが出来ました。息子さんであるたけしさんは、福祉施設に12年通い続けましたが、食事も排泄も自立できませんでした。今ある福祉の枠では不十分で居場所がなかった、そしてないなら自分で息子さんの居場所を創ろうということで、出来たのがレッツです。レッツの一連の「分かりにくさ」はここに理由があるように私は感じました。

 

分からないということは決めつけないということ

建物からしてそうです。看板がどこにあるか分からない、何をしている施設なのかぱっと見では分からず、利用者さんも特に何かをする訳ではありません。ここで言う何かとは、生産性のある何かです。ホームページも、個人的な意見ですが、情報が満載で一目では分かりづらいです。

個人に根差した文化活動拠点というのも、結局何をしているのかが分からない。文化? アート? しかし別に利用者さんは何か作品を作っている訳ではありませんでした。実はこのことにもちゃんと理由がありましたが。

レッツはもしかしたら、一休さんの「このハシ渡るべからず」を地で行く場所ではないかと感じました。ハシを渡るな? じゃあ、真ん中を通ろうっていう。

ハシ=橋という決めつけの否定。ハシは端かも知れないという可能性。物事を別の解釈から見る曖昧さ、ひいては分かりづらさをあえて残しているような。とんち? ウィット? エスプリ? 何と言うのかは分かりませんが。

いわゆる普通の福祉施設のイメージから意図的に外れています。既成概念をぶっ壊すのがアートであるならば、まさにレッツの物事のとらえ方が、作品ではなく、レッツという空間そのものがアートなのではないか。そのように感じました。

 

摩擦はむしろ好機

レッツの理念である「全ての人々が分かち合い、共生できる社会づくり」、すなわちソーシャルインクルージョンを進めていく過程で、当然波紋を起こすことはあります。良いことばかりではありません。

以前、自分でお尻を拭けないレッツの利用者さんが隣のビルのトイレに一人で入ってしまう事件が起こりました。その方は、案の定自分でお尻を拭けず、誰かに拭いてもらおうとしてズボンを下ろしたまま外に出てしまい、結果一帯は大騒ぎに(ちなみに入り口の扉にテンキーをつけるキッカケにもなった事件です)

警察沙汰になりましたが、久保田さん他、レッツのスタッフはご迷惑をかけてしまった店舗まで赴いて、利用者さんの特性(障害・人柄)を丁寧に説明し、最終的に店舗の関係者さんから理解を得られることができたそうです。

「摩擦を恐れていては何も生まれないし、何も起こらない」久保田さんの言葉です。だからこそ、レッツの皆さんはトラブルを恐れずに積極的に街に出て活動しています。

地域の方々と語らう哲学カフェ「語りノヴァ」や全国からパフォーマーを募集する雑多な音楽の祭典「スタ☆タン!!」など、地域の方たちを巻き込むイベントを精力的に行っています(※イベントの詳細について知りたい方は、ぜひレッツのHPをご参照下さい)

 

新たな活動「表現未満、」
紙をちぎる。扉の前を行ったり来たりする。ガムテープで何かをグルグル巻きにする。特別なことではなく、日常的に行っていること、あくまでそれは生活の一部です。そしてそれは取るに足らないと思われてしまうような、一見無意味なことでもあります。

しかし決して何かのためにやっている訳ではなく、やらざるを得ない情動を持った行為、何らかの作業。それらをレッツの皆さんは「表現未満、」と名付けています。

情動の結果、生まれた作品=例:ガムテープで出来たオリジナルの楽器ではなく、情動そのものにフォーカスを当てる。久保田さんは、「レッツはもう作品作りをしていない」と断言されていました。すでに「表現未満、」に活動の軸足を移していると。

「表現未満、」とはつまり、摩擦を恐れずにやりたいことをやりきる情動そのものではないでしょうか。今回視察の中で私が得られたことです。恐れずに、やりたいことをやりたいようにやれ、と勝手にエールを送られたような気になりました。

 

一日の終わりのフェス
最後に。日が暮れた後、今回の視察のオオトリとなる交流イベント「サマフェス」に参加しました。さすがは音楽の創造都市・浜松。2Fの音楽スタジオで行われた利用者さんとレッツスタッフの共演ライブは最高でした。歌というか、文字通り魂の雄叫び。笑っちゃうくらい、そしてなぜだか涙ぐむくらい感動しました。皆さん、素晴らしかった。一つ心残りがあるとすれば、ライブでも歌を披露していたバンド「とびうお」のCDが在庫切れで買えなかったこと。

レッツの皆さん、ありがとうございました。

 

編集:津波古 祥太

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