哲学カフェ With 臨床哲学プレイヤー 西川勝氏

哲学カフェとは?
哲学カフェに共通するのは、進行役がいて、テーマを設け、その場にいる人たちが話して聞いて考えるというシンプルなつくりです。話の進め方に決まりがあるわけではなく、徹底討論にする、じっくり対話を進める、その場でテーマをつのる、進行役がテーマを展示する、など、主催者や進行役によって雰囲気が違います。いろいろなカフェに参加して、進行役の個性を味わうのも、哲学カフェの楽しみの一つでしょう。

哲学カフェはいわゆる合意形成の場ではありません。哲学的にじっくり考えるためには、合意を目的とするよりもむしろ、参加者それぞれが、どの点が理解できて、どの点が理解できないのかをはっきりさせていくことが重要となります。進行役も、大勢の合意よりも、少数の異論を積極的に拾い上げることで、参加者に吟味を促しましょう。そうしてテーマについてさまざまな観点から検討する過程で、参加者一人一人が得て帰るものこそが対話の成果です。

引用文献:哲学カフェのつくりかた

 

哲学カフェという言葉に初めて出会ったのは、8月に訪れたクリエイティブサポートレッツさんの文化発信拠点“たけし文化センター”の中で、でした。レッツさんが行う哲学カフェ“語りノヴァ”のフライヤーに目が留まり、哲学カフェとはいったい?と興味を惹かれたのが、ファーストコンタクトだったと思います。

それからおよそ5か月。哲学者――否、臨床哲学プレイヤーの西川勝さんを沖縄にお呼びして、医療とアートを考える会初となる、哲学カフェを開催する運びとなりました。

臨床哲学プレイヤー、というのは西川さんご本人が考えた名称だそうです。看護師の資格を持ち、2016年まで大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任教員を務めた後、「今はブラブラしている」と冗談を仰っていましたが、現在は公益社団法人 認知症の人と家族の会 大阪支部の代表をされています。

 

臨床哲学、聞くということ

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哲学カフェで話すこと、そして〈聴く〉ということについて、臨床哲学の初期にずいぶん議論していて、聴くということが、それまで言葉にならなかった想いや考えを言葉にする可能性を開く、といったことを話していました。それこそ、話す/聴くが可能になるためには、対話してコミュニケーションしている両者が「共にいる」ということがないと不可能です。
~中略~ 哲学はある意味でいつまでたっても決着がつかないようなことがあって、決着がつきかけたら、「いや、もう一度その前提にもどりましょう」というふうに、ちゃぶ台をひっくり返すように、もう一度違う方向から論を重ねていくことができますよね。哲学的吟味は対話の継続を可能にします。

答えではなく、対話の中で新たに生まれた問い――『知らないことを知るための問いではなく、知っていることを改めて問うような問い』を持って帰ることが、哲学カフェの最大の目的になります。

引用文献:哲学カフェのつくりかた

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若狭公民館の会議室にて
同日開催のパーラー公民館祭の対談イベントに出演された西川さんと、対談相手だった現代美術家の上原耕生さん――11月に見学させて頂いた、茨城県大子町の精神科病院“袋田病院”で活動されているアーティストです――にも哲学カフェに参加して頂き、お子様も1名も参加され、場所をホールから小さな会議室に移して会がスタートしました。作業療法士数名、看護師、アーティスト、臨床哲学プレイヤー、というバラエティに富んだメンバー構成でした。

進行役は西川さんが務め、静かな雰囲気で始まり、最初は緊張もあって、なかなか言葉が出てこず。テーマは「何でもいい」わけですが、完全な自由というのはかえって不自由に感じるもので、互いに探るような、様子見の沈黙。しかし、徐々に言葉が端々から生まれ、「感情労働」「感情規則」「つらいとしんどいの違い」「つらいとは何か?」という風に問いが深まっていきました。なお「感情労働」や「感情規則」について、西川さんは自著の中で以下のように説明されています。※一部抜粋、内容を省略しています。

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顧客の気持ちをつかむために笑顔をつくる。~省略~ 従業員はうれしくなくても笑わなければならないわけです。~省略~ 自分の笑顔と素直な気持ちとが分離することになります。~省略~ このような感情労働を強いられるのが、顧客と顔を合わせる対人サービスです。

看護や介護に携わる人は ~省略~ ケアする相手に対して、マイナスの感情を持ってはいけないわけです。こういうのを「感情規則」と言います。

引用文献:となりの認知症

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つらかった、こと
「つらい」というテーマに問いが差し掛かった時、私はどうしても、かつてキーパーソンをつとめた伯父のことを思い出さずにはいられませんでした。

統合失調症を患い、途方もない時間を社会的入院によって精神科病院の中で過ごし、晩年の数年間だけ顔を合わせた伯父。私が作業療法士として精神科領域に進む際に、長らく交流の途絶えていた伯父と再会を果たしましたが、関係性が取れず。最後までまともな会話をかわすことはできませんでした。

キーパーソンをつとめるようになってから入所施設に一旦退院しましたが、体調を崩して今度は総合病院に入退院を繰り返すようになりました。そしていよいよ危ないとなったその時、ドクターから緊急連絡が入り、電話口で“気管挿管”の是非を問われました。恥ずかしながら、その時は気管挿管の意味がよくわかっていなかったのですが、呼吸を助けるために、気管と呼ばれる管を喉に通す処置を意味します。気管挿管を行えば助かるかも知れない、但し今後は口からモノを食べられなくなる――“胃ろう”になる、とドクターから告げられました。

私は高齢者の胃ろうには反対でした。しかし、天寿というには伯父はまだ若く。迷っているうちに伯父は亡くなりました。棺の中の伯父は生前見たことがないほど、安らかな顔をしていました。

この時、気管挿管の是非を決断できなかったことを今でも疑問に思うことがある、と私が話すと、西川さんはその疑問――問いによって、あるいは安らかな伯父の死に顔から「何かを受け取れたのなら、それでいいのではないか」という言葉を頂きました。私の問いに、やはり答えは出ませんでしたが、それでも西川さんの言葉は、私の気持ちを少しだけ楽にさせてくれました。

私の話の後も、様々な「つらい」ことが話されましたが、決してしんみりとした空気にはならず、冗談をはさんで場を和ませてくれた西川さんのファシリテーション術のなせる技だったように思います。西川さん、お忙しい中、私たちの問いを深めて頂き、ありがとうございました。

 

編集:津波古 祥太

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